帝人が幽と会う時は幽が帝人の部屋へやってくることが多い。そもそも幽が多忙すぎてそれほど多く会えるわけではないが、帝人が彼の家を訪れたことは一度もない。片手の数ほど、帽子とサングラスで変装した幽と外食をしたが、周囲に和島幽平の存在がバレた時のことを考えると、落ち着いて食事などできたものではなかったから、やはりゆっくりするとなると室内に限られる。
とはいえ、いつもいつも唐突に家にやってこられるのは困るというか、混乱するわけだが。
「兄さま、もしかして事前に連絡するの面倒だとか思ってませんか?」
「まあ、それなりには」
全く表情を変えずけろりとのたまう彼にめまいがしたが、彼の本質を考えると仕方がない。むしろここまで自ら出向いてきたほうに驚く。多忙な日々の隙間に存在する休暇に出かける、なんて。
ロケ先のお土産だという包みを幽から受け取り、玄関で立ち話もあれなので室内へ招く。お茶うけに使えないかとさっそく包みを開ければ、中からは可愛らしいメルヘンなイラストが描かれた缶が出てきた。流れるような書体で『ちんすこうショコラ』と書かれている。
「ちんすこうって沖縄のお菓子ですよね。兄さま、沖縄に行ってきたんですか?」
「うん。ブタの顔の皮とそれ、どっちにするか悩んだんだけど、卯月さんがこっちのほうが絶対いいって」
「兄さま、ぼくは今顔も見たことがない兄さまのマネージャーさんにこれ以上ないくらい感謝しています」
これなんだけど、と幽が見せてきたケータイのディスプレイには、醤油かなにかで味付けされたのだろう、濃い茶色に染まっているブタの顔の皮がどでんと映っていた。てっきり細長く加工されたものだと思っていた帝人は、まんまブタの顔なそれに若干後ろへ下がった。食品だとわかっていても、不気味すぎて見ていられない。
「肌に良いらしいよ?」
「そこまで必死に美容を求めてはいませんから」
さすがにこれを食べてまで美しくなろうとは思わない。というか、自分よりもはるかに美人な幽に言われると、焼け石に水という言葉をひしひしと実感する。帝人は缶からちんすこうをいくつか取り出すと、冷蔵庫の中からヘペットボトルのお茶を出して、コップと一緒に幽の前に置いた。
お好きな分だけお取りください、という意味だったのだが、幽はなにもせず、真顔でじっと帝人を見つめた。長くはないが、かといって短くもない付き合いのなかで、この視線が何を意味するのか理解できるようになってしまった帝人は、はあ、とこれ見よがしにため息をついて、幽のコップにお茶を注いだ。
「ありがと」
「これくらい自分でやってくださいよ」
「面倒だから。君がやってくれなかったら、まあ、お茶くらい飲まなくてもいいかなとは思ったけど」
なくてもいいけどあったらそれはそれでいい、程度だったのだということらしい。なんともいえない脱力感に襲われて、帝人は思わず「いつか兄さまは面倒が理由で死んでしまいそうです」とぼやいた。
「それはないよ」
「死ぬことすら、めんどくさいってことですか?」
「あながち間違ってはいないけど、違うよ。人が発展しようと思う限り、怠惰は、絶対に死なないよ」
だって文明の進化には、怠惰が絶対に、必要だから、と。その言葉の意味を帝人が理解できたのはきっと、帝人の中にも同じような感情があったからだろう。
科学の進歩は、すでにできることをどれだけ手早く簡単に行えるようにするか、便利性を追及しているものといってもしい。それはすなわち、めんどうくさいという感情で、人間は進歩し続けてきたということだ。面倒くさいという感情がなかったら、きっと人間はそのままの生活で満足をして、そこで終わっていたはずだ。
そして人間はまだまだこれから、進化をつづけていく。より便利に、より手軽に、より怠けるために、進化を続けていくだろう。
「兄さま、怠惰が人間を進化させるのならば」
小説でも漫画でも、たまに聞く言葉がある。はるか昔から世界共通で言われ続けている、言葉が。
「強欲は人を、壊してしまうのでしょうか?」
強欲は身を滅ぼすのだと、何かの本に書いてあった。
怠惰が繁栄の象徴なら、
強欲は破滅の象徴だ。その結末は決して帝人が望んだわけではないけれど、そのエンドはまるで天からの贈りもののように強欲に与え続けてきたのだと、歴史を紐解けばわかってしまうから、帝人は何も答えない兄から視線をそらして、まるで内臓を焼く痛みをこらえるかのように、ぎゅ、と手を強く強く握りしめた。
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