「ありがとう。君は――――俺が女の子を殴る趣味が無いからって、わざわざ男を用意してくれるとは! なんて殊勝な女の子なんだろう。彼女にしたいけどゴメン、君、全然タイプじゃないから帰れ」
なんて、
なんて傲慢な人なのだろうと、帝人はわずか十秒の間に起こった出来事の締めとして臨也が高らかに言い放った台詞を聞きながらぼんやりとそんなことを思った。踏み台にされている彼氏さんもあっというまに逃げていった彼女さんも可哀相だなあの人たち別れるしかないんじゃないかなという感想は抱いても、それだけだ。臨也を止めようとか諌めようなどとは思わない。彼らが帝人にしたことを考えれば、そんな気など欠片も抱けない。
どうしよう、この人。帝人は兄の処遇に頭を悩ませながらもふと兄から視線を外すと、そこには都市伝説がまるで彫像のように微動だにせず立っている。
え、なにこの状況。兄さま、そろそろ楽しそうに人を踏み潰してないでこっちに来て十文字以内で適切な説明をお願いします。じゃないとぼく、頭パーンってしますよパーンって。
耐震工事とは無縁のボロアパートまで移動すると、帝人はくるりと背後の臨也と黒バイクを振り返った。帝人のことを『妹』として以上に気に入ったらしい兄はともかく、帝人には都市伝説に自宅訪問される心当たりも理由もない。
「ええと、ぼくの部屋はここの一階にありますけど・・・・いい加減に説明してください、兄さま」
じろりと臨也を睨みつけると、彼は「俺はただ俺たちの可愛い妹と楽しくお出かけとかしたかっただけだよ」と肩をすくめた。
「昨日はシズちゃんに邪魔されてほとんど楽しめなかったし」
「・・・・・昨日から不思議に思っていたんですけど、本当に傲慢の兄さまと憤怒の兄さまは仲が悪いですよね」
「だってあいつムカつくんだもん☆」
「兄さまウザイです」
『兄さまって誰だよ』
まるで無視するなと言わんばかりに帝人と臨也の目前にPDAが突き出される。妙に親しげというか、初対面の帝人に使うには不釣合いな発言? に帝人が首をかしげると、臨也が「俺のことに決まってるじゃん」と口を開いた。
『兄さまとか、お前は自分のキャラを考えろ! 鳥肌が立ったぞ』
「たまに思うんだけどさ、運び屋といい新羅といいドタチンといい、俺のことなんだと思ってるんだか」
『外道』
「うわあムカつくくらい簡潔に答えてくれてどうもありがとう」
どうやら臨也と黒バイクは知り合いだったらしく、内容はともかく親しげに会話を交わしている。全く進展しない展開に帝人がどうしようか悩み始めたところで、臨也が唐突に「あ、そうだ」と呟いて帝人を手招きした。かと思えばひょいひょい近付いていった帝人の肩を掴んでぐいぐい黒バイクのほうへ押し出した。行動に意味が全く見出せない。
「ここまで近付けばわかるかなー? まだわかんないかなー?」
「なにがですか、兄さま」
「黒バイクの正体」
え、と意味がわからず帝人は戸惑うような雰囲気を発している黒バイクを見上げる。そして首をかしげた。いくら探ってみても、黒バイクの『欲』が把握できない。人間なら誰でも抱く『欲望』が帝人にわからなかったことなど、『起き』てから一度もなかったのに。
「・・・・・・・・・・あの、間違っていたり気を悪くされたらごめんなさい。あなた、本当に人間じゃないんですか?」
黒バイクが驚いたように身体を震わせたのを見て、帝人は自分の予想が当たっていることを確信した。帝人は人間の『欲』なら手に取るようにわかる。逆を言えば、人間の『欲』しかわからないのだ。帝人がいくら集中したところで、黒バイクが人間ではないのならどうしようもない。
『君は、私のことをどれだけ知っている?』
PDAに打ち込まれた言葉に、帝人は必死にネットなどで知った都市伝説の内容を思い出す。まことしやかに語られてはいるが、とうてい真実だとは思えないその噂。
「・・・・あの・・・・貴方は都市伝説の一種で――――エンジン音のしない、ヘッドライトの無いバイクに跨っています。それで――――」
そこから先を語るのに、一瞬だけ帝人は躊躇った。間違っていたらどうしようという不安と、あっていたらどうしようという期待から、身体が震える。
「――――貴方には、首が無いと」
『君は、それを信じているのか?』
その答えを出すのに帝人は少しだけ悩んだ。信じている、というわけではない。帝人は大好きな『非日常』を見たいがために、そうであったらいいと思っているだけだ。だが先ほどの確信した事実が、根も葉もない噂だと思っていたそれの信憑性を上げる。覚悟を決めた帝人は黒バイクに向かって大きく頷いた。
「あの・・・・・・見せてくれませんか、そのヘルメットの中身を――――」
『絶対に悲鳴をあげたりしないか?』
その質問を、何を今更と思う。あげたとしてもそれはきっと喜びの悲鳴だと言う確信が帝人にはあった。だから力強く頷く。後悔はない。反省もない。今の帝人にあるのは、ただ黒バイクのヘルメットの中身を見たいという『欲望』だけ。
そしてさらけだされたその中身を、まるで漫画かなにかのようなその光景を、自分の想像を超えた存在が目の前にいることを、帝人は神でもなんでもない、この東京という場所に強く感謝した。
『結局あの子は何者なんだ。あんな目で私を見るなんて。森厳と新羅以外じゃ初めてだ』
セルティが咎めるようにPDAを臨也に突きつけると、彼は飄々とした笑みを浮かべて「面白い子だろう」と嬉しそうに語った。
「さすが俺たちの可愛い妹だよ。とっても『強欲』で、奇想天外なことばかり考えてる」
『妹・・・・? じゃあ、あの子もお前や静雄と同じなのか』
セルティは臨也と静雄がただの人間ではないことを知っている。静雄が『憤怒』、臨也が『傲慢』、自分の本質をここまで完全に理解している人間に会うのは初めてだ。『強欲』と臨也が呼んだ少女が消えていったボロアパートを眺めながら、『それはそうと』とPDAに打ち込む。
『お前、かなり重度のシスコンなんだな』
「うっわ、失礼だな。言っとくけどあの子だけだから。怠惰の『弟』にはこんなふうにはならないし」
ぶすっと唇を尖らせる臨也に、それでも否定しないんだなとセルティは思ったがPDAには打ち込まなかった。妹にデレる臨也はそれだけでものすごく気持ち悪く、セルティの追求させる気をなくさせる。勝手にしろシスコン、と心の中で叫ぶだけに留めて、セルティはまだかまだかとボロアパートから帝人があの首に傷のある女性を連れて出てくる瞬間を待っていた。
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