「妖刀?」
自分の皿にポン酢を注ぎながら、帝人は目を瞬かせて鸚鵡返しに繰り返した。向かい側で鍋に豆腐を投入していた臨也に向かって首をかしげる。
「その話は前チャットでもしましたけど・・・・・え、あれって本当だったんですか? てっきり兄さまの冗談かと」
「君の中で俺の評価はどんなふうになっているのか一度訊いてみたいね」
鍋の中でぐつぐつと煮えるしらたきと肉を小皿によそりながら、臨也は再び「妖刀さ」と言った。
「言っただろう? 夜な夜な現れては路地裏で凶刀を振るう、謎の殺人鬼。あ、まだ死人は出てないから斬り裂き魔? それとも通り魔かな」
「物騒な話題なのに楽しそうですね、兄さま。それで、その妖刀がどうしたんですか?」
くつくつと笑う臨也に帝人は呆れる。この『傲慢』な兄は他人の不幸は蜜の味といわんばかりに楽しそうだ。帝人も最近ワイドショーなどで騒がれている通り魔については少しだけ知っていたので、わずかにうずいた好奇心に囁かれるままに臨也に続きを促す。
「アレね、ホンモノの妖刀だから気をつけな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ぽかんと大口を開けて臨也の顔を見るが、臨也は何事もなかったようにしらたきを口に運んでいる。彼は笑顔で嘘をつくし、意味のない嘘も意味のある嘘も全てごちゃまぜにしてくるから油断はならないのだが、それでも臨也が自分をからかっている雰囲気はなかった。
「アレは昔新宿にあった妖刀だよ。斬った相手に憑く、というか乗っ取る? 潜む? まあそんな感じで他人を操るんだ。斬った相手は同じように憑かれるからねずみ算式に増えていく。俺たちに乗っ取りとかその手の類のモノが効くかは知らないけど」
もぐもぐと肉を咀嚼しながら臨也はつらつらとその妖刀について語った。
「けど今回みたいに大騒ぎするのは初めてかな。五年くらい前に辻斬り騒ぎがあったけど、それ以来は大人しかったし」
「詳しいですね、兄さま」
「まあちょっと興味があったからね」
『ちょっと』の興味でここまで調べるかのか疑問に思ったけれど、深く尋ねることもせず帝人はふぅんと小さく呟いた。そんな様子の帝人に釘を刺すように、手を出しちゃ駄目だよ、と臨也は言った。
「探ってみようとか思ってるだろう? 止めておいたほうがいい。今度は熱出すだけじゃすまないよ」
「う・・・・、でも、ぼくだってあれからちょっとは成長しましたし。加減さえちゃんとやれば」
「そーゆー問題じゃない。たぶん意識をリンクさせた瞬間に引きずり込まれる。即発狂して廃人だ」
そうでなくても、君は引きずられやすいんだから。むすっと頬を膨らませる帝人の無茶を嗜める臨也の声は呆れを含んでいるもののどこか楽しそうだ。引きずり込まれる、の言葉に帝人は眉を寄せた。ほどよく煮えた肉をよそいながら、それほど強い意識を持っているという妖刀はいったい何を思って通り魔を続けているのだろうと考える。
「目的は人を愛することだよ」
帝人の疑問などお見通しなのだと、そんな風に笑って臨也は言った。
「アレはただひたすら人を愛している。誰か、じゃないんだよ。どこ、でもないだよ。人間の、血液や頭蓋骨や筋肉や脂肪や眼球、全ての人間を、人間を作る全てを愛してるんだよ。そうだね、アレが人間だったら本質は『色欲』、俺たちの
兄姉弟妹 だっただろうけど」
それはないだろうと、帝人は思った。
兄姉弟妹 たちは必ず人間だ。『強欲』も『傲慢』も『憤怒』も『嫉妬』も『怠惰』も『色欲』も『暴食』も、全て人間が所有する感情だから。静雄がどれだけバケモノのような身体を持っていても、所詮は人間だということに、変わりがないように。だからその妖刀が
兄姉弟妹 であることは絶対にありえない。
「アレの愛情は強烈で凶悪で強靭で、どうしようもない。アレを理解できてどうにかできるのはそれこそ『色欲』の
兄姉弟妹 くらいなものだよ」
肩をすくめる臨也に適当な返事を返す。鍋のにんじんを器用に避けながら好物だかっさらっていく臨也の皿ににんじんとねぎと豆腐を突っ込んで、軽く悲鳴を上げた臨也を睨みつけながら帝人は肉団子に箸を伸ばした。臨也は意外と子供っぽいところがあるので、こんな他愛のない嫌がらせがけっこう効いたりする。
「帝人ちゃん、そのオレンジ色の物体を俺の皿に放り込むのはやめてくんない? おにーちゃん泣いちゃうよ?」
「そのポケットに隠した目薬の使い道がわかるから余計イラッとくるんですけど。殴っていいですか兄さま? ぐーで殴っていいですか? どうせ数々の修羅場で女性に殴られなれてるんでしょう?」
「殴られ慣れてるからって殴っていいってことにはならないよね? ていうか慣れてないから。俺遊ぶ時はちゃんと後腐れないコ選んでるし。マジなコはノーサンキューでやってるし」
「最低な男検定とかあったら一級取れそうな理由をありがとうございます。わかってましたけど傲慢の兄さまってサイテーですよね」
苦虫を噛み潰したような顔で言うと、臨也は何を今更、と笑った。ああ今更だ、と思う。一年前に彼に出会ったときから、見ず知らずの女子高生の携帯を笑顔で踏み潰していた姿を見たときから。
「それで兄さま、その妖刀の名前ってなんですか?」
鍋の煮汁で薄くなったポン酢を注ぎ足しながら、嫌そうな顔で渋々にんじんをかじる臨也で問いかける。にんじんを飲み込む臨也が本当に嫌そうな顔をしているから、帝人は臨也の皿に放り込むつもりだったにんじんを自分の皿に入れた。
口直しと言うように肉にポン酢をぶっ掛けて口に入れていた臨也はにぃぃぃと、本当に、心の底から、楽しそうに笑ってその名前を唇に乗せた。罪の歌だよ、と。
「罪歌には、気をつけて」
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