「妖刀?」
静雄が社会人ということを気遣ってか平日は滅多にされることのない
妹からの呼び出しに快く応じた静雄は、待ち合わせ場所の公園のベンチで飲みかけの缶コーヒーから唇を離して怪訝な顔でそう返した。返された帝人は軽く頷いて、静雄が買い与えたホットココアを一口すすった。その顔は小さく微笑んでいるものの真剣で、静雄をからかおうなどという雰囲気は欠片も漂っていない。学校帰りなのだろう帝人の服装は私服登校が許可されている来良学園の生徒だというのにきちんと制服で、そこら辺を闊歩している同じ年頃の少女とは違ってそう短くはないスカート丈だが、それでもむき出しの脚は二月の冷たい風にあおられてひどく寒そうだ。
「妖刀っつーと、あれか、持ってると不幸になるとか誰でもいいから斬りたくなるっつーやつか?」
「漫画やアニメだとたいていそんな感じですね。今回は持っていて不幸になるようなことはないそうですが、確かに人間を斬りたくてたまらなくなるそうですよ」
「それで、その妖刀がどうしたんだ?」
どこかで聞いたような話題だなと思いながら、静雄はその先を促した。
「兄さまも今騒がれている斬り裂き魔は知ってると思いますが」
そこで一旦言葉を切って、帝人はほう、と肺の中の空気を全て吐き出した。そして業務的な淡々とした口調で言う。
「この斬り裂き魔、正体は五年前にもここを騒がせた妖刀の罪歌と判明しました。ぼくはこれを『敵』と見なし、排除することにします。これは竜ヶ峰帝人個人の意志であってダラーズの総意ではありません」
『敵』とは、
兄妹の中で温厚な部類に入る彼女にしては物騒な言葉だと、静雄はその眉間に皺を寄せる。面倒という理由で荒事を厭う
怠惰 とは違っていざとなればその手を汚すことも躊躇わない帝人が、それでもあまり気乗りしないはずの荒事を自ら進んで作ろうなどと考えるのはたいていなにか事情があってのことだと知っていたので、静雄は口を挟むことなどせず黙ってその先が語られるのを待つ。
「ぼく『の』友達がひとり、怪我はありませんでしたが切り裂き魔に襲われました」
その瞬間、静雄の中の『憤怒』がぞわりと蠢いた。感化されたのか、とひとりごちる。隣に座る帝人の瞳には、燃え滾るような『憤怒』が揺らめいていた。
強欲 が
帝人 であるがゆえに自分の物を侵されることを最も嫌うのだと、静雄はこの一年で嫌というほど学んだ。そして静雄も憤怒であるがゆえに、決して侵されてはいけない聖域を侵された帝人の怒りを諌めることはしない。帝人が所有に執着するのは仕方がないことなのだ。本能に近い願望のようなそれを否定することは自分で自分の存在をないものとして扱うようなもので、行えば自分を失う。決して、誰にも、拒否することはできない。
「罪歌が何を考え、憂い、思い、慕い、図り、謳い、嘆こうがどうでもいいんです」
過程などどうでもいい、結論などどうでもいい、効果などどうでもいい、結果などどうでもいい、静かに前を見つめる帝人の瞳は、確かにそう語っていた。
「彼女はぼく『の』友達を傷つけた――――
その事実があれば、それでいい」
静かに怒りを孕んだ囁きを洩らした帝人を見つめて、静雄は無茶はするなよ、とその小さな頭を撫でた。静雄が何を言おうが帝人は止まらないしそもそも静雄にも止める気などさらさらない。ならばせいぜい、怪我には気をつけろと忠告するくらいしかすることなどない。
「しっかし罪歌な・・・・・ちょっと前までセルティが来ててさ、お前と同じこと言ってたな。まああいつはお前ほど詳しくなかったし、そこまで確信があるってわけでもなさそうだったけど」
「セルティさん、が・・・・?」
首をかしげる帝人に、静雄はセルティとの会話の一部始終を語って聞かせた。案の定セルティも斬り裂き魔の被害者だと話したとたん、帝人の幼さが残る顔に不愉快さがにじむ。
「セルティさんまで襲われていただなんて・・・・・・・セルティさんには申し訳ないですけど、首がなくて良かったです」
「あいつはお前が心配するほど弱くはねえって。まあそんなわけで、俺も斬り裂き魔を探してる。探し出して殺す、めらっと殺す」
「めらっとの意味が解りませんが・・・・・・・・・・ぼくが心配しているのはセルティさんだけじゃありませんよ、兄さま」
ぎゅっと、帝人の小さな手が静雄のバーテン服の裾を握った。
「憤怒の兄さまの名前がチャットで出ました。これは犯行予告とも取れますし、傲慢の兄さまもこのことに関しては首をひねるばかりで・・・・・・・憤怒の兄さまが負けるとは考えられないんですけど、それでも注意してください。兄さまが怪我をするのは嫌です」
「俺のことなら心配するな。セルティもいるし、俺は刃物で斬られたくらいじゃどうってことないからな」
「それでも――――怪我をすれば、痛いでしょう?」
痛いのは嫌ですよ、と帝人は言った。確かに嫌いだ。痛いのは嫌で、嫌いだ。それでも、
――――そんな感情はもう、池袋の喧嘩人形の中で磨耗され消え去って久しい。
静雄はそんな自分を自覚しながら、こちらを労わる帝人の頭を優しく撫でた。化け物でも痛覚はあってどこかで泣いているのだと、当たり前のように信じている優しい妹の頭をそっと、撫でた。
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