帝人がいつものチャットに顔を出したのは、ダラーズやその他のそこそこにぎわっている掲示板からめぼしい情報を手に入れた後だった。このチャットは傲慢の兄である臨也が名と性別を偽って運営しており、なにかしら今回の事件について彼がちょくちょく発言していたことを思い出したため、まだ消えていないことを願いつつログを漁ろうと思ったのだ。それでなくとも罪歌を名乗る荒らしが出没しているのだ、確認しておいて損はない。
そこに、帝人の予想を超える、愛に満ちた
犯行予告 が綴られているとは、知らないで。
50人を越える人数に囲まれながら、帝人はそっと静雄のバーテン服の袖を握った。兄さま、とか細い声で呼ぶとぴくりとわずかながらも静雄は反応を返す。そのことにほっと安堵の息を吐いて、帝人は自分たちを取り囲む人々を見つめた。
こちらを、否、静雄を見つめる、充血などの自然現象ではありえない、紅の瞳。
セルティに
南池袋公園 に向かうようにに指示をしたのは帝人だ。チャットの書き込みが正しければ、罪歌はここに現れる。そう思ってセルティを探し、成り行きで兄ふたりの喧嘩を止め、ここにいる。その行動を後悔していないが、迷いがある。果たして、ここに静雄を連れてきて本当に良かったのか。
「兄さま、ぼくが」
「やめとけ、お前じゃ無理だ」
サイドカーから降りようとした帝人を言葉だけで静雄が止めた。今回の人数は前回のダラーズの時よりもいくらかは少ない。しかし罪歌という妖刀に乗っ取られた人間の意識を干渉して、上手くいくという保証はどこにもなかった。
けれどそれ以外にどうやってこの場を納めるのか、その方法を問おうと帝人が静雄を見上げたところで、静かな女性の声が響いた。
「会いたかったわ、平和島静雄さん」
こちらを取り囲むだけで何もしようとしない人々の中から、来良学園の制服を着た女子高校生が歩み出てきた。その顔にどこか見覚えがあるような気がして首をかしげた帝人は、あ、と小さく声を上げた。確か杏里をいじめていたグループの少女だ。
「本当に素敵ね・・・・・・あなたが私の『姉妹』を倒した時、遠くから見させてもらってたけど・・・・・」
少女は恍惚とした表情で謳うように語った。
「私の口から、他の姉妹にも、母さんにも、貴女の強さを伝えたわ・・・・・・・ネットって便利ね。昔はあんなもの無かったから、私達『罪歌』度押しが意思を共有するのも難しかったんだけど・・・・・自分自身に何かを理解させるのには、メールの一つもあれば簡単だものね」
こちらの意思など考えずに、愛と自分に酔ったかのように少女は語り続ける。彼女が罪歌なのか、と一瞬思ったが、私達、と言った彼女の台詞から考えるにどうやら違うらしい。それに姉妹とは明らかに違う、母さん、という存在も気になる。
「最初は私達の『意識』が言葉を覚えたりするのが大変だったけど・・・・・・もう、みんな母さんと同じくらいハッキリとした意思があるわ」
じっと警戒心まるだしの視線で彼女をの見つめていた帝人を、近くでセルティが身動ぎする気配を感じて、ようやく周囲の異変に気がついた。彼女が言葉を並べるにつれて、じりじりと人間の輪が狭まってきている。いっせいに飛び掛ってこられたら静雄やセルティはともかく非力な帝人はひとたまりもない。
「だけど静雄さん、あなたの強さを、もっともっと詳しく知りたいの。もっと見せて欲しいの。今度は、みんなの前で・・・・・そしたらきっと、今以上に貴方を愛する事ができるから・・・・」
嬉しそうに、愛しそうに、楽しそうに、少女バタフライナイフを持ってじりじりと歩み寄ってくる。帝人は制服のポケットから臨也特性改造スタンガンを取り出そうとしたところで、
「帝人、できるだけ俺から離れてろ」
「え・・・ちょ、兄さま!」
俺から離れるな、ならまだわかる。守るべき対象は自身の近くにいた方が守りやすいだろう。だが静雄は、できるだけ離れていろ、と言ったのだ。その意味を帝人が尋ねるより早く、周囲の人間たちか狂ったように笑い出した。
「さあ! 愛し合いましょう? どこまでもどこまでも、貴方が疲れて動かなくなっても、私達が一方的に愛してあげる! 愛し続けてあげる! そこの化け物と女の子以外、誰の邪魔も入らないよ? 今日はここから離れた場所で、何人かの姉妹が新しい姉妹を増やし続けてるから! この街の人を愛し続けているから! お巡りさん達は、みんな大忙しだからね!」
狂ったように笑う人間たちと狂ったように愛を叫ぶ少女という、ホラー映画かなにかのワンシーンのような光景に寒気を覚えながら、帝人は努めて大人しく、無表情にバイクから降りて少女の下へと歩き出した静雄を見つめた。
静雄になにか考えがあるのか、帝人は知らない。そもそも憤怒とは最も理性が弾けとんだ感情なので、帝人は静雄に計画的行動なるものをたいして期待していない。全て激情のままに。憤怒とはそういう感情なのだ。
「一つ、聞いていいか」
「なにかしら?」
「お前らよ・・・・・・なんで俺のことが好きなんだ?」
思わず帝人は「空気読んでくださいよ兄さま!」と突っ込んでしまうところだった。 セルティを見れば彼女もバイクから落っこちかけている。シリアスな雰囲気なのにここまで脱力させることができるのもある意味すごい。
尋ねられた『罪歌』は即答した。
「強いからよ」
「・・・・・・・・・」
「あなたのそのデタラメな強さ・・・・・・権力や金に頼らない、人間の本能として絶対的な、それでいて暴力的な徹底した強さ。それが、私達は欲しいの。それに・・・・・・・貴方みたいな危ない人、好きになってくれる人間なんかいないでしょう? 怖いもんね。だけど―――私達なら、貴方を愛してあげられるわよ?」
その愛を聞いたとき、帝人の中で何かが、キレた。
「違います」
だから思わず、否定の言葉が、唇からはっきりと漏れた。
「兄さまは強い人なんかじゃないです。ぼくは知ってます。兄さまはものすごく弱い人です。
憤怒 が大嫌いで、
憤怒 の力が大嫌いで、しても惨めになるだけってわかってるくせにずっと
憤怒 を否定し続けている、駄目でどうしようもない人です」
だって彼は、
優しすぎる人 だから。
「だから兄さまを強い人だなんて、言わないで」
血のように紅い少女の瞳を真っ向から見つめて、毅然とした態度で帝人は言い切った。この兄が、強いものか。彼は兄姉弟妹の中で最も弱い。弱くて哀しくて、どうしようもない人だ。
「はは・・・・・・・・」
あまりにも場違いな、穏やかな笑い声だった。
「たっく、スプーン一本曲げられねえくせに、言ってくれるじゃねえか」
可笑しくてたまらないと、静雄は笑っていた。穏やかに、爽やかに、笑っていた。
「そいつの言うとおり、俺は
憤怒 が大っ嫌いだけどよぉ・・・・・・・・・そこまで言うんなら、もう、いいよな?」
嬉しそうに歯を噛み締める、彼は笑っている。
「俺は全力を出しても、いいんだよな?」
幸せそうに拳を握る、彼は笑っている。
「俺は
憤怒 を、認めてもいいんだよな?」
サングラスを外したその目を細くして、彼は笑っている。
「俺は
憤怒 を好きになって、いいんだよな?」
そして―――まるで爆弾が爆ぜるように、
憤怒 の怒りが、あふれ出した。
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