落ちていくだけの西日がやけに眩しく感じられて、帝人は思わず立ち止まってそのオレンジと黄色が曖昧に混ざり合う夕日を眺めた。まだ日の入りには少しだけ余裕があるものの、道行く人々の足は速く、どこか緊張のようなものが漂っている。この街にひっそりと存在する『異物』を人々が警戒している、その証拠とも言えた。
とうとう二桁を越えた通り魔の被害者。すぐ隣にいるかもしれない『加害者』の存在を、人々は確かに感じて、そして怯えている。
先日『兄』からその通り魔の正体を教えられた帝人もまた、同じように不安に駆られる。それは正体がわかっても安心できるようなモノではなく、むしろ正体がわかったからこそよりいっそう不安が増すようなモノだった。
人間を愛する妖刀、『罪歌』。
人ではない、だから警察には通告できない。人ではない、だから『強欲』には太刀打ちできない。
帝人には手の出しようがないし、『兄』から止められている手前迂闊にちょっかいはかけられない。せいぜい自分や兄弟たち、それに正臣や杏里が巻き込まれないことを祈るだけだ。
「――――なあ、帝人!」
突然現実に引き戻された帝人が弾かれるように前を向くと、驚いた顔をした正臣と杏里がこちらを見つめていた。瞬間、正臣が爆笑し杏里がくすりと微笑む。羞恥で顔を赤く染めながら駆け足で二人の下へと急ぐと、帝人は照れ隠しの意味を込めて未だに笑い続ける正臣の足を思いっきり踏みつけた。
「何の話かはよく解らないけど、ぼくにできる事ならなんでもするよ」
「チッチッチ。馬鹿だな帝人は本当に。こういう時は『ぼくにできない事だろうが愛の力でやってみせるよ』、ぐらいの事を言ってのけなきゃ男じゃあねーぜ」
「矛盾じゃん。ていうかそもそもぼく女だし。正臣には見えないのかなー? 制服のスカート見えないのかなー? ちょっと眼科もしくは頭の病院行ってくるべきだねむしろ入院しろ」
「ちょ、1のボケに対して100のツンで返すのマジやめて! せめてそこは90のデレをくれ!」
「でも園原さん、最近は本当に物騒だから気をつけてね。先生のことにしたって、嫌なら嫌って言っていいんだから」
「・・・・・ありがとうございます、竜ヶ峰さん。でも本当に大丈夫ですから」
「え、帝人だけじゃなくて杏里までスルー?」
素で驚いた顔をしている正臣を空気のように無視して、女子ふたりはなごやかに微笑みあった。傍目から見たらさぞ微笑ましい光景だろう、正臣以外には。この一年で女子ふたりによる協力ハブにも慣れたらしい正臣が心の傷から不死鳥のごとく復活して無理矢理ふたりの間に割り込んでくる。
「でも那須島の野郎も杏里に目をつけるなんて、マジお目が高いよなー」
「正臣、不謹慎だよ。園原さんはいい迷惑なのに」
「でもそれだけ杏里がエロ可愛いってことだろ。いや杏里はマジでエロ可愛いけど。そういえば帝人はなにもされてねーの? たいていの女子があいつにちょっかい出されてんのに」
「大丈夫なんですか、竜ヶ峰さん」
自分が今まさに被害を受けていると言うのに、こちらを見やる杏里の顔には帝人を気遣う意志がありありと見て取れて、なんていい人なのだろうと園原安里という友人の優しさを再認識する。
那須島という教師は女子生徒の間では本当に評判が悪く、入学して早々から帝人も色々な噂を聞いた。その大半がどこぞこのクラスの女子が那須島のセクハラ行為受けただとかで、帝人も委員会の先輩から神妙な顔で忠告を受けている。そしてその噂と忠告を裏付けるように、彼の
脳内 はそういった下品な『欲望』が渦を巻いている。近付いただけでねっとりとこちらのまとわりついてくるような意識に、帝人は自分の精神と肉体の安全のためにこの教師に近付かないことを決めた。
「まあ昔ちょっと馴れ馴れしくされたけど、今は大丈夫だよ」
「また帝人のことだから相手が再起不能になるような毒舌ぶちまかしたんじゃねーの?」
その毒舌の被害者リストのナンバー2である正臣(ちなみにナンバー1は臨也だったりする)が大仰に自分の身体を抱きしめて身体を震わした。実際は身体を触られそうになった時に彼の中の『欲望』を完膚なきに潰したのだが、それを説明するわけにもいかないから帝人は曖昧に笑って誤魔化した。
『欲望』なんてものはいくら潰そうがそれなりに時間が経てばすぐまた湧き出てくるもので。彼の場合とりわけ執着が強かったのか二時間後にすれ違ったときにはすでにその性的『欲望』はしっかり復活していて、いちいち湧き出すたびから潰していてはまた熱を出しかねないしなにより面倒なので帝人が彼の意識に干渉したのはそれが最初で最後である。彼の
脳内 は性的『欲望』や低質な『自尊心』や自分を小馬鹿にする生徒に対する『憤り』や自分の上司や同僚に対する『嫉妬』などが複雑に絡み合っていて気持ち悪いので、できればもう一生干渉したくない。
「ああいうのは、相手にしないのが一番だからね」
帝人がそう言うと、隣で杏里が小さくすいません、と声を上げて身を縮ませた。何人もの生徒から、挙句の果てには美香から忠告を受けてもなお、教師を上手にあしらえないるという事実に恐縮しているのだろう。帝人はそんな杏里を安心させるように彼女の手を取って、ゆっくり、けれどもはっきりと力強い声で言い切った。
「大丈夫だよ。ぼくがちゃんと守るから」
帝人は今まで嫌悪しか抱いていなかった那須島という教師にはっきりと明確に『憤怒』を抱いていた。杏里は大切な『自分』の友人だ。『
強欲 』は自身のモノに危害が加えられることをなによりも嫌い、疎み、憤るのだ。
守るから、と再度囁く。杏里が目を瞬かせて、それでも次の瞬間には嬉しそうに小さく笑うから、帝人も笑って杏里の小さな、帝人の手と同じぐらいだからよりほっそりとしていて女性らしく感じるその手をしっかりと握りしめるのだった。彼女が傷付かないことを祈り、願いながら、そして――――
――――その日の晩に彼女が通り魔に遭遇し無傷なものの酷く困惑し疲弊していたことを知って、通り魔を徹底的に排除することを、決めた。
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