優しく頭を撫でる、指先は震えていた。
抱きついたら固まった。手を握ったら怯えた。笑いかけたら困惑した。いつだって静雄は、言葉には出さないし本人も隠しているつもりなのだろうけれど、ずっと帝人に対して怯えていた。その姿が酷く滑稽で、同時にとても愚かな人だと思った。
帝人なんて、スプーンひとつ、曲げる力さえ持たないのに。
素手で道路標識を引っこ抜いてしまう彼なんて、片手でひねり潰せる程度の存在でしかないのに。
否、片手でひねり潰してしまえる存在だからこそ、何かの拍子に殺してしまわないかと、静雄が恐れているのだと帝人にはわかっていた。わかっていてもなお、帝人は静雄を滑稽で愚かな人だと思った。
彼は何でもひとりで抱えたがる。自分の悩みを理解できるのも解決できるのも自分だけだと思いこみ、勝手に悩んで勝手に落ち込む。誰にも何も、話そうとしない。そして自分なりの解決方法を、例えそれが傍から見たら根本的に何も解決していないものだとしても、実行する。
馬鹿な人だと、帝人は思う。
世の中には触れなければわらないものがある。口に出して言わなければ伝わらないものがある。静雄はそれを全て放棄しているのだ。全て自分が悪いのだと、決め付けて。
なんて、愚かで滑稽で哀れで自分勝手で、優しい人。
それは嵐のようで、爆弾のようで、花火のようでもあった。過激だったが、
台風の目 には何の被害ももたらさなかった。爆ぜるように始まったが、一瞬では終わらなかった。美しくはなかったが、目を奪われるなにかがあった。
すさまじい勢いで『罪歌』たちを蹴散らす静雄を、帝人はじっと見つめていた。彼の『憤怒』から一瞬でも目をそらすまいと、緊張した面持ちで。
静雄の本質が『憤怒』であったことが、悲劇だとは、帝人は思わない。
だが力のリミッターを解除してしまう静雄が、そのリミッターに自身の感情を付け合せざるを得なかったのは、最大の悲劇だと、帝人は思う。
『憤怒』とは爆弾のようなものだ。最も理性から離れた、一度火がついてしまえば一気に爆ぜる、火をつけた本人にも止められない、厄介な爆弾。静雄がキレやすいのは彼の本質が『憤怒』だからだが、そんな彼が力のリミッターの制御を持ち合わせていないのは、神の気紛れとしか言いようがない。静雄が『憤怒』だからそんな身体になったのか、それともそんな身体だったからこそ彼が『憤怒』だったのか、それは鶏と卵の討論になってしまうのだけれど。
帝人は静雄が自分と接する時の、壊してしまわないかと怯えるその表情を思い出して、そっとため息をついた。大なり小なり、帝人たちは自分の『本質』を嫌っている。帝人の脳が他人の欲を把握しきれずに死ぬほど苦しんだことがあるように、あの『傲慢』な臨也でさえ、『傲慢』であるがゆえに苦しんだ過去を持っているのだ。ただ疎んで、嫌って、忌んでも、どうしようもないと、知っているから。どこかで折り合いをつけるしかない。静雄のように真正面からぶつかって悩んだって、余計苦しむだけなのだから。
けれど、今の静雄は笑っている。
彼は暴れる時はいつだって、こんなふうに笑うことはなかった。こんなにも清々しそうに、まるでなにかが吹っ切れたように。
折り合いがつけられたのかもしれないと思った。少しだけ彼の負担が軽くなると思えば、乱闘の場であっても帝人の顔が綻ぶ。隣でセルティがいぶかしむ気配がしたので、慌てて頬の緩みを消した。しかし、セルティが不審に思ったのはそんなことではなかった。
その場にいる『罪歌』全員が、いっせいに、同じ方向を向いていた。
彼女たちが向いている方向には公園の入り口があるだけで、別段先ほどとなにも変わらない。しかし『罪歌』たちはその紅い瞳で瞬きもせず、じっと同じ方向を凝視している。
「・・・・・・・もしかしてよ・・・・・・この近くで、なんかあったんじゃねえか? 何かはよく解らないけどよ・・・・・」
静雄の言葉に帝人は考え込む。あれほど熱望していた静雄との愛の語らいを中断してまで見つめるその先に、いったい何があるというのか。もしなにかあったとしたらそれはやはり、『罪歌』関係のことではないだろうか。
「ここは俺がなんとでもすっから、帝人連れてちょっと見てきたらどうだ? つか、ついででもいいから帝人を家まで送っていってくれ。深夜徘徊はやばいし、俺はこんなんだしな」
自分の格好を見下ろした静雄が肩をすくめた。ただでさえ金髪にバーテン服と、夜中に女子高校生と一緒にいたら職務質問されそうな外見なのに、大勢の『罪歌』と格闘した今、身体のあちこちに傷を負い血塗れのぼろぼろである。ひとりで歩いていたって通報されるに違いない。
どうせここにいたって帝人にはなにもできないので、静雄の提案に異論はない。『影』から作り出した手袋を静雄に渡したセルティがバイクに跨った時、帝人は「兄さま」と再び『罪歌』たちと向き合った静雄に声をかけた。
「さっき『罪歌』が、兄さまを好きになってくれる人間なんかいないって言ってましたけど」
不思議そうにこちらを見る静雄に、帝人は精一杯声を張り上げた。
「大好きですから! ぼくと、あときっと怠惰の兄さまも、憤怒の兄さまのこと大好きですから! だから好きになってくる人間がいないなんて、そんなことありませんから!」
「・・・・・・・・・・・・」
なぜか黙りこくった静雄をいぶかしんで首をかしげると、よしよしとセルティに頭を撫でられた。
『帝人を見てるとなんだか子供が欲しくなってくる・・・・・・うちの養子にならないか?』
「おいこら、勝手にとんでもねえ提案してんな」
「いや、それよりもなんで今こんな話になったのかがわからないんですけど」
なんか一気に空気がだらけた気がする。帝人としては一貫して真面目な言動しかしていないのだから、不思議でしょうがない。『罪歌』たちが動きを止めている今がチャンスだと、執拗に養子縁組を勧めてくるセルティを急かす。
「兄さま、がんばってください!」
遠ざかる兄の背中に精一杯の声援を送る。応えるように片手を上げた静雄を見つめていると、彼が負けるだなんて欠片も思わなかったし、そう思えるのが不思議だとも、欠片も思わなかった。
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